胸に何かが

突き刺さる演劇を

幸田 真洋

今年、結成から25周年を迎える劇団HallBrothers。

福岡拠点のこの劇団を率いるのが、
脚本家であり、演出家でもある幸田真洋氏。

今年は25周年記念公演ラッシュと銘打ち、年4回の公演を行っている。

2024年6月28日(金)~6月30日(日)には、その第2弾として、
「家中の栗」が上演される。

第6回九州戯曲賞大賞受賞の幸田氏が描く世界とは?
ぜひ伺ってみたくなり、インタビューを申し込みました。

【インタビュー目次】

劇団HallBrothersについて

今回の上演作品
「家中の栗」

脚本家・演出家として

最後の質問

劇団HallBrothers
について

-インタビューを受けていただき、
本当にありがとうございます。

まず、主宰を務められている
劇団HallBrothersについて
お尋ねさせてください。

一口に“演劇”といっても
様々なものがあるかと思います。

劇団HallBrothersでは
主にどんな演劇作品を
作られているのでしょうか?

僕たちは群像劇、そして会話劇の作品を主に作っています。

群像劇とは主役とその他脇役のような、一般的な物語の描き方ではなく、登場人物一人ひとりにフォーカスを当てていくスタイルです。

もちろん話の軸というものはありますが、登場人物それぞれが主役のような、それぞれを描くスタイルだと思っていただければいいかと思います。

そして会話劇とは、会話が中心となって物語が展開していく劇です。

たとえば、前回(2024年4月公演)の作品だと、新興宗教団体の本部が舞台でした。幹部たちや信者、出家した娘を取り返しにきた家族たちの会話を通じて、物語の背景やテーマが見えてくる……といったものです。

-会話を通して一人一人を描く…
といったイメージでしょうか。

何名の方が所属されていますか?

現在、17名です。旗揚げ当初から在籍しているのは僕ともう一人。在籍10年以上が一人。5年以上が一人。あとの13人は入団したばかり〜5年未満までと、フレッシュなメンバーが多いです。

大体、5年周期くらいでメンバーの新陳代謝が起こる傾向にありますが、今はちょうど入れ替わった後の時期、といったところでしょうか。

-みなさん役者さんですか?

基本的にはみな役者をやりたくて入ってきたので、僕以外は全員演者になります。

ただし、僕らのような小劇団はスタッフワークも自分たちでやっているので、小道具や衣装を集めたり、大道具を製作したりということも劇団員全員で手分けして行っています。

-大道具の製作まで!
文字通り皆さん一丸となって
作品を作り上げているのですね。

ところで劇団HallBrothersは、
今年で25周年を迎えられたとのこと。
心よりお祝い申し上げます!

元々どのような経緯で
劇団を立ち上げられたのでしょうか?

高校演劇部で演劇にハマって、卒業後も続けたいと思いました。

当時(90年代後半)はイムズ芝居なんかもあって、福岡でも演劇が盛り上がりつつある状況だったように記憶しています。先輩劇団たちも1000人近く動員しているところもあったので、自然とじゃあ僕も劇団作って頑張ればどうにかなるのかな、と考えました。

それで高校の同級生と劇団を旗揚げしましたが、方向性の違いで2年ほどで退団、何人かのメンバーを引き連れてHallBrothersを旗揚げしました。

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今回の上演作品
「家中の栗」

-さて、ここからは今回の公演について
お聞かせください。

今回の上演作品「家中の栗」は、
2014年に初演されたものだとか。

当時、この作品を作った
経緯を教えていただけますか?

今回の作品は「親族会議が行われる日の8時、13時、17時」という3つの時間帯を描いた連作短編になっています。10年前はちょうど15周年記念で、今年と同じく年間4本の公演を行っていました。「年間4本もやるんだから、毎回違うスタイルにしないと飽きられてしまう」と考え、普通の長編とは違う連作短編にしよう、と思ったのがそもそものスタートです。

で、題材を考えていた時、親族って面白いなとふとひらめきました。妻の実家が田舎の大家族で、前々から面白いなと感じていたからかもしれません。

親戚も多いし、付き合い方も濃密で、外様の僕なんかは誰が誰だかわからないくらいの多さなんですが、「どこどこの誰々がうんぬん……」と噂話をしているのを聞いていたりすると、同じ一族でも全然価値観が違う。それぞれ個性があるのに、同じ〇〇家というものに括られて、そして〇〇家らしさみたいなものも求められている。まさに日本の縮図だなという感じがしていました。

親族たちが「ダメ長男をどうするか」で、ああでもないこうでもないと話し合っている姿を連作短編で描くと、価値観の違いが浮き彫りになって面白いと思い、「家中の栗」を作ることにしたのです。

-この作品を今、リメイクしようと
思われたのはなぜですか?

時代がどんどん変わってきて、多様性を認めようという世の中になってきています。とても良いことだと思っていますが、しかし、実際のところ人々の意識は変化しているんでしょうか。時代に合わせて変化できている人もいれば、そうじゃない人もいる。そして実はそうじゃない人の割合の方が多いのではないかと僕は考えています。

今回の作品の舞台である「田舎の大家族」って随分少なくなっているとは思いますが、しかし、人々の意識はまだ「田舎の大家族的な価値観」のままの人が多いのではないのかな、と思うのです。そういう意味で、今やっても全然古くない、むしろ刺さる人も多いのではないかと考え、この作品をチョイスしました。

-時代は変化したが、自分はどうか?
少しドキリとするお話です…。

どのような形で
リメイクされるのでしょうか?

初演の「家中の栗」は親族会議が行われる日の8時、13時、17時という3つの時間帯を描いたものです。第一話が8時、第二話が13時、第三話が17時ですね。その部分は今回の出演者に合わせて多少の修正はしますが、基本的には変わりません。

ですが、今回はその後の第四話を新たに書き加えました。第四話は親族会議が行われた時から一年後という設定です。

初演では「親族会議前の人々」を描いていて、結局、親族会議そのものは描いていません。つまり、親族会議の結果、ダメ長男をどうするのかという結論ははっきり描いていませんでした(1〜3話を見ていたら、「おおよそこうなるだろうな」と結果を予想できるようには描いていました)。

今回は一年後を付け加えたので、親族会議の結果どうなったかということも明示していますし、そして新たな火種やそこに対してどう対処し、結論づけるのかということも描いています。10年経って僕自身の考え方にも変化がでてきたので、その部分も描きました。

-結果をあえて明示するというのは、
かなり大きな違いですね!
想像が膨らみます。

さて、たくさんある見どころから
あえて1つだけ挙げるとしたら
何でしょうか?

「これが会話劇だ」というものを、ぜひ、感じてもらいたいと思います。舞台上で登場人物たちが会話をしているだけですが、その会話から様々な背景が見えてきますし、互いの価値観がぶつかり合う様は、派手な立ち回りと変わらないくらいスリリングだったりします。

演劇は観客の想像力を喚起するものだ、と僕は考えていますが、会話から想像の翼を広げてもらえたら、その先には無限の世界が広がっているはずです(ちょっと言い過ぎかもしれませんが……笑)

一見地味な会話劇ですが、演劇ならではの楽しさを感じていただけるはずです。

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演出家・脚本家
として

-さて、幸田さんご自身のことも
少しお聞かせください。

幸田さんは、脚本家・演出家も
務められていますね。

幸田さんの場合、「脚本」とは
どのように書かれていますか?

例えば、脚本の構想とは、
どこから始まるのでしょうか?

僕は意地汚い人間なので(笑)、常にネタになることを探しています。怒っている妻もネタになるし、電車の中で見かけたおじさん、通り過ぎる人、もちろん日々起こるニュースなど、小さなことから大きなものまでネタになります。ちょっとでも引っ掛かりがあれば、記憶の中にストックしておいて、それらが何かの拍子に結びついてだんだん一つの作品になっていく、という感じでしょうか。

最初に「家中の栗」を描いた経緯でお話ししましたが、「いつもとは違うスタイルにしよう」とか「今回の出演者は〇人、男女比や年齢層はこう」とか、予算はこれくらいで……とか(笑)、そういう制作的なことや現在、自分が興味のあるテーマ、そして今の気分など、様々な方向から考えていくと、「あ、あれとあれが結びつくぞ」みたいな反応が起こって、形になっていきます。

ですから「制限はないです。自由に描いてください」みたいな方が書きにくいかもしれません。「男女比はこうで、年齢層はこう」のような制限があった方が「じゃあ、あのネタは使えないな。だったらこっちか」など選択しやすくなります。そういうのを繰り返していく感じですね。

-制限がある方が書きやすいとは、
少し意外な気がしました!

では、セリフはどのように
書いていくのですか?

セリフは登場人物がイメージの中で喋ることを言葉にしていく感じです。「こういうメッセージを喋らせたい」ということが先行することもありますが、そういう時はたいてい説明台詞になってしまいます。なので、そこはなるべく抑えるようにして、登場人物の声を聞くように心がけています。

登場人物が喋るためには、その人のことを考えて考えて理解したり共感したり、あるいは反発したりしないと喋り出しません。なので、どんな人物なのかとにかく考えます。あとは「それは本当にその人の言葉なのか、それとも僕が言いたいだけなのか」というのを冷静に考えるように心がけています。「その人はそんなこと言わないよ」と自分で自分にツッコミを入れるようにしている感じです。

-とても興味深いです…!

では次に、演出家について。

素人質問で恐縮ですが、
演出家とは何をするのでしょうか?

若い頃、僕も何をしていいのかわかっていませんでした。演劇界ではなぜか脚本を書く人が演出もして……というのが当たり前だったので、それにならって演出をしていただけでした。最初はとにかく本を書きたかったので、書くなら、じゃあ、演出もするものだ……みたいな感じでしたね。

今も「演出とはこういうものですよ」と語れるほど精通していない気はしますが、僕なりに説明すると……

たとえば、窓にカーテンを掛けるとして、何色にするのか?長さはどれくらいにするか?素材は?そんなことを考えて、カーテンを決めるのが演出かな、と思っています。

若い頃は自分が書いた台詞を修正するのが嫌でした。でも、今は簡単に修正できます。その方が演じる役者に合っていると思ったら、簡単にカットするし、修正もします。合っていない台詞を喋るのは、部屋に不釣り合いなカーテンを掛けるようなものだからです。

……というような説明で伝わるでしょうか?

-カーテンそのものを作る人ではなく、
「お部屋のコーディネーター」
みたいな感じでしょうか。

なんとなく分かるような…?

もうちょっと別の角度から説明すると、「今日はいい天気だね」というなんの変哲もない台詞も、うれしさいっぱいで言うのか、怒って言うのか、悲しいのか、楽しいのかで全然違って聞こえてきます。

役者は役者の解釈で怒って台詞を言うかもしれませんが、それはあくまで役者の解釈であって、演出家は「ここは喜んで言ってほしい」と考えているかもしれません。こういう時は、基本的には演出家の方針が尊重されます。つまり、演出家はどういう作品にしていくのか、という方針を立て、そこに向かって作り上げていくリーダーみたいなものでしょうか。

しかし、役者も人間ですので固有の考え方があります。そういう時は話し合って妥協点を探っていったりします。会社組織なんかと変わらない感じですね。旗振り役とか調整役とか、そんなイメージでいてくれたらよいのではないでしょうか。

-全体を1つの方向に導いていくという
役割を担っている感じでしょうか?

少しイメージが湧いた気がします!

では、脚本家・演出家として、
作品作りで大事にされていることは、
何でしょうか?

「よく見る・聞く・感じる」ことです。

役者のこともそうだし、自分自身のこともよく見て、聞いて、感じていないと大切なことを見逃してしまいます。今、自分が本当に思っていること、言いたいこと、感じていることを常に見つめていないと、大事なことがわからなくなってしまうので。

僕は多様性を認めようというスタンスで台本を書いていますし、演出もしています。しかし、僕の根っこにはものすごい差別意識があったりします。そういうものをちゃんと見つめておかないと、きれいごとだけ言う薄っぺらい人間になってしまうと思います。自分のいいところも悪いところもきちんと見つめて、それが自分だと認めることが大事なんじゃないでしょうか。

-今年は25周年記念公演ラッシュを
行われていますね。

ぜひ今後の予定を教えてください!

記念公演ラッシュ3秋が9月の末、そして記念公演ラッシュ4冬が2025年1月の予定です。

秋は代表作「となりの田中さん」を上演予定です。第六回九州戯曲賞大賞を受賞した作品で、2013年初演、2014年、2018年と再演を重ねてきました。今年で4度目の上演になります。

冬は新作です。僕以外の劇団員総勢16名が全員出演する群像劇で、2015年・2016年に3階建てのビルを舞台上に再現した「中央区今泉」という作品があるんですが、同じような路線で作ろうと思っています。巨大な舞台装置の中で、都会で生きる人々の悲喜交交を描く群像劇にする予定です。

-聞くだけでも興味が湧く内容。
幸田さんと劇団の皆さんが、
どんな作品を作られるのか。
とても楽しみです!

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最後の質問

-では、最後のご質問です。

今は、自宅にいながら映画鑑賞も
買い物もできてしまう時代です。

そのような時代にありながらも、
わざわざ劇場などに足を運んで、

生の演奏を聴きに行く。
生の舞台を鑑賞する。

その場で体験することでしか
得られないものとは、
何だと思いますか?

映像は映し出したものがすべてです。街が映っていればそこは街中ですし、海だと海、山だと山。当たり前ですが、それ以外のものにはなりません。何も映っていなければ、それは何も映っていないだけなのです。

しかし演劇は、何もない舞台上が街になったり、海になったり、山になったり、宇宙にだってなります。役者の力、音や照明の力、そして観客の想像力が合わさった時、どこにだって、何にだってなれるのです。この体験は劇場でしかできないものだと僕は信じています。


拙い質問にお答えいただき、
本当にありがとうございました。

この10年で、たしかに時代は
大きく変わりました。

しかしそんな今、

田舎の「親族」たちの
会話を通して、
一体何が見えてくるのか?

とても楽しみです!

名家の親族会議で
本音と建前が交錯する

「家中の栗」

2024年6月28日(金)~30日(日)

ぽんプラザホールにて